83年にザ・バンドが再結成というニュースはびっくりしましたが、ロビー・ロバートソン(g)抜きでその穴をケイト・ブラザーズが埋めるという話。新作が出るわけでもなかったのですが、全盛期に来日がなかったことを取り返すように年上のオールドファンを中心に大いに盛り上がり&愚痴(ロビー不在を)大会でした。まだロビーとリヴォンの不仲、確執が公になってなかった時期(その後リヴォンの自伝が出て実は仲良くなかったとかの話、リチャード・マニュエルの自死もあってどーんと気分は落ち込みます)ですから。それでもこの時は不調ながらまだリチャードがいたのだなあ…
ライヴの帰りに道玄坂のBYGに寄るとザ・バンド帰りの人たち多数でした(^^)
ソフト化されたLive In Japanのフルがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=CakRsnSdtC4
#62~ぼちぼちいこか
83年の3月にライヴハウスで見た上田正樹のライヴはカッコよかった。その後”悲しい色やね”の大ヒットがあって、ある意味演歌的な部分ちょっとなあと思ってましたしそれが入った「After Midnight」もちょっとやりすぎに感じるところもあったのです。9月頃県民会館で見たキー坊のコンサートはなんかちょっとお上品でノレませんでした。それは直前にサウス・トゥ・サウスのライヴ盤や有山との「ぼちぼちいこか」が再発されそっちをよく聞いてたこともあるでしょう。コミカルで泣ける「ぼちぼちいこか」は今でもよく聞きます。当時友人が愛読してた「じゃりん子チエ」を借りてよく読んでたこともあるかも。せつない”大阪へ出てきてから”です。
#63~サントリー・オールド・ホット・ライヴ@代々木競技場第一体育館
2年前のカリフォルニア・ライヴは行けませんでしたが、ボズ・スキャッグスをメインでマイケル・マクドナルドとジョー・ウォルシュをゲストにした西海岸ファン向きのイヴェント・ライヴに行きました(83年10月)。なにしろ初めての会場。あまり調べずに代々木で降りたのが失敗(最寄りは原宿)であたふたしてるうちに会場。パンフも買えず詳細わからないままマクドでスタート(後にロベン・フォード(g)やエドガー・ウィンター(kb)もいたらしい事を知りました)、お目当てがジョー・ウォルシュですが2年前の武道館と比べると時間も短くまあしょうがないか。”Life In Tha Fast Lane”を歌うなど新企画もあり。ホーンズもいたようで、マリリン・マーティン(vo)やチェット・マクラッケン(ds)もいたらしい。トリがボズでまああまりキョーミなかったけどみんな"We're All Alone"で歌いだしちょっとカンドー。
まったくの余談ですがこの東京行きの際、下北のイエロー・ポップでワーナー初期の青レーベルの「Sweet Baby James」「Stephen Stills」「Mud Slide Slim」などを購入。当時の見本盤の考え方は「買うときは安いが売っても安い」的なものが多く、音質がどう?という考察は一切なかった(実際いつもの日本盤よりも音はもこもこしてた印象)記憶で、後に米盤など白レーベルのPromotion Onlyと書かれたものをガッツある音とありがたがる感じではなかったのです。正解はいまもわかりませんが...
で、このワーナーの青レーベル、今は激レアでものすごく高い値がついてるという記事を見たことありますが、僕が買ったときは700円くらい。売った時もまあフツーの値段400~500円くらいだったと思います。
64#~ヤードバーズ
年頭のキンクスはSMSレコードの英断でしたが、秋には英Charlyの再発盤を原盤としてキングからヤードバーズが何枚かリリース。3大gtrを輩出しながらそのイメージばかり語られ、流通してたのは東宝レコードからの怪しいアンソロジーぐらいだったので、これはちゃんと勉強し直すのに持って来いでした。とりあえずメンバー紹介(有名なEric Slowhand Clapton!のコール)で始まる「Five Live」('64)は、若々しいR&Bバンドのドキュメントとなるライヴで前曲R&Bのカヴァーでした。キングのこのブリティッシュ・ロック・ルーツ・コレクションというシリーズは、Immediate音源を使ったスモール・フェイシズ、ハンブル・パイもリリースされてました。
#65~ネオアコへの道
83年は米オールド・ロックからルーツロックからssw、ザ・バンド的なものまでざっと堀ったりしてましたが、同時代的にイギリスで起きつつあったネオ・アコースティックな音にも惹かれてました。それまで、たしなみとして聞いていたリアルタイムのNew Waveの中にもホントに好きなものが出てきたなあという感じ。Rough TradeのウィークエンドやCherry Redのトレイシー・ソーンやベン・ワットが、それまでのフォーキーな音楽とはかなり手触りが違うアコースティック・サウンドだったゆえこう呼ばれたらしいのですが、ベルギーのクレプスキュールというレーベルをレコード・ショップの新星堂が解説付き輸入盤としてシリーズで紹介し、そういうものがラジオでかかって気になったということもありました。アンテナ、ミカド、ポール・ヘイグ、タキシード・ムーンなどのサウンドは全部が好きというわけではなかったけど、それまでのエレポップとパンクと暗いヤツ以外にもNew Waveに聞くべきものがあった、と感じさせたのでした。
83年12月、2度目のタツローは、FOB会員でしたので最前列(端)でした。83年のツアーは「Melodies」をリリース後のツアーなのでクリスマス・イヴ”もセットリストに入ってました。最初のメドレーでやった”ピンク・シャドウ”がうれしかった覚え。もうあまり覚えてないけど鈴木英人の”スプリンクラー”のジャケットが表紙のパンフレットでした。延々と伊藤広規のbassソロがつづいてた”Bomber”を聞いたのはこの時だったかな?
同級生の友人たちに誘われて初めて見たユーミンは、「Voyager」がリリースされてましたが、83年12月、まだ「Reincarnation」のツアー(新曲はまだ演奏できない、とMCで)。代表曲満載で旧姓時代のナンバーから”埠頭”、”Destiny”など有名曲まで。アンコールは弾き語りで”いちご白書”でした。ただユーミンのこの後の女子会ムード、消費生活を煽る様な作風に辟易して個人的には離れていくのです。
#68~個性的な中古屋たち@名古屋編
80's初めには、今池ピーカン、バナナいくつかぐらいしか行ける中古屋は名古屋にはなかったのですが83年になるといくつか個性的なお店も現れました。時期は前後します。
栄というよりは久屋大通の「ぢ」の看板があったあたりかな?の「グラフィティ」。僕は「ナプガジャ」(=ナゴヤプレイガイドジャーナル)の広告で見たいったのですが、ジョー・コッカーのセカンドの別ジャケの日本盤(キングから出た「ジョー・コッカー&レオン・ラッセル」)やブルーズ・バンドの「Bye Bye Blues」を買った覚え。
上前津の交差点周辺にあった(あの辺の古本屋でも中古LPも扱ってました)「バレンタイン・レコード・マート」。後年パンク系の盤が多くなって遠ざかってしまいましたが、この頃は英米の70'sロックが割とお値打ちで買えました。デイヴ・メイスンの珍しい編集もの「Scrapbook」には”Little Woman”(「Last Exit」に収録)のB面曲が入ってて、なかなか手が出ない値段でしたのでいつまでも店頭に残ってたこと覚えてます。
覚王山の「ディスクK&K」。ここは日本盤も扱う輸入盤屋で新品ばかりでしたが、フランキー・ミラーの「The Rock」を買った記憶あります。
同じ覚王山の「Halfway House」。ここも米ロックの輸入盤がお値打ちで。レア盤がボロボロジャケで安いパターンありまして、デイヴィッド・ブルーの「Stories」もここで。
一社の「スリー・サウンズ・カンパニー」。現在は栄で「サンズ・オブ・スリー・サウンズ」として営業中といいますが、オリジナルに近いLPが揃ったレア盤中心の店。見たこともないもの多いのですが値段は高め。若輩者がバックメンバーのクレジット見て○○gを弾いてるから~とかいうとそういう観点で聞くとたぶんがっかりするよ、真っ当な忠告をしてくれるお店(知る限りそういうこと言ってくれたのは国分寺の珍屋とここだけでした)でした。
83年に金山の「サウンドベイ」がやってたか不明。あの当時大須がどうなってたかも不明です(「円盤屋」はあまり行った記憶にないので)。
ロンドンパンクが出てきたころ、日本ではピストルズ、クラッシュ、ストラングラーズが3大バンドだった気がします。ジャムはパンクのくくりに入ってましたが、見た目のモッズスーツからして、違うものと思ってました(まあブロンディがNYパンクと言われてた時代です)。ジャムの初期は一本調子にも感じるビート・サウンドでしたが、「Sounds Affects」あたりからスタジオでいろいろ手を加えるようになって、最後の「The Gift」ではMotownやStaxの音を吸収したR&Bっぽいものになってました。イギリスのファンに愛され(大事にした)、解散時の声明文の青くさい感じも素敵でした。解散後kbのミック・タルボットと組んだスタイル・カウンシルは、後期ジャムの流れを組むソウルフルなファンクかと思えばオルガン・ジャズのようなインスト、ボッサなアコースティックと、「スタイル評議会」というバンド名に逆らわない多種多様さ。
妹分のトレイシーを弾きつれての来日は84年GWで新宿厚生年金でみています。ホーンズも加わった実にかっこいいステージ。直前に出た「Cafe Bleu」というファーストは素晴らしかったのですが、それを上回る内容。当時は気づかなかったけどファンカデリックの”One Nation Under The Groove”をカヴァーしてまして、その辺は後に新宿ディスクロードで買ったブート(ここで買ったのはスタカンのブートだけでした)で確認。
ライヴなどで上京すると寄るお店も年々変わってきました。この頃勇気を出して伺った
ところに渋谷のファイア・ストリート(とは今は言わんか)にあった頃の「Hi Fi」があります。店主が元林亭の大江田信さん、バイトさんも後に有名ミュージシャン、ということはずいぶん後で知ったのですが、オリジナル盤を結構いい値段で売るセレクトショップ。ここでこの時(スタカンの翌日)エリック・カズの「Cul-De Sac」を買ってます。資料によるとタワーでまだ普通にカタログに残ってたローラ・ニーロの「First Songs」、ブリンズレー・シュワーツの「Silver Pistol」を新品で購入。
Hi Fi 珍屋