#31
ニコレットの次に見たのがクリストファー・クロスですからもうどうかしてます。これは名古屋市民会館でした(初金山)。なんせLP1枚だけですので半数以上が新曲で悪くはないんだけど洋楽ビギナーには退屈かも。豪華ゲストでバエた「南から来た男」でしたがライヴとなると自前のバンドだけなんで華がない。いわゆるAOR的な音ではないメリケン・ロックでしたが。それよりも前座で登場して4曲やった日本人アーティストが新鮮でした。ピアノ弾き語りゆえフライヤーには和製ビリー・ジョエルの文字が。まさか翌年あれほどブレイクするとは思ってみませんでした。彼の名前は佐野元春といいました。
https://www.youtube.com/watch?v=_WiJV-yOKcQ
#32
ジュケンセイということでジャクソン・ブラウンのライヴを諦めましたが、「Hold Out」はこの年一番聞いたアルバムだったかもしれません。もう少し上の世代ならロックに寄ったこの時期のジャクソンはイマイチと感じたかもしれませんが、ソリッドなロックンロールと青くさい歌詞がとてもカッコよかった。すでに終わってしまった恋をテーマにした極私的な内容なんでライヴでもあまり披露されない曲もありますが、”That Girl Could Sing”はヴァレリー・カーターを歌ったものだとか。ただこの後デイヴィッド・リンドレーがバンドから独立しソロになります。
https://www.youtube.com/watch?v=x47wRwdJfPQ
#33
それまでアメリカものは圧倒的に西海岸しか聞いてこなかったのですが、80年の暮れにCBSソニーがシンガーソングライターものを中心とした廉価盤シリーズ<イッツ・ア・ビューティフル・ロック・デイ>シリーズを出しました。多分シスコのイッツ・ア・ビューティフル・デイがオリジナルジャケで久々に再発できる状況にあったのでこのキャンペーン名になった事と、宙に浮いていたBearsvilleレーベルをソニーが出せることになった事もあって出せるものは出しとこうと、ジョン・マニングやコンプトン&バトゥー、ジェームズ&グッド・ブラザーズやトニー・コジネクなど名前も全く知らないマイナーどころがリリース。FMの「ミュージック・スコープ」でさわりがいくつか紹介され、サンリオから出てた「ロック名盤のすべて」というディスクガイド(ちなみに当時僕が重きを置いてたのは講談社から邦訳が出てた「ローリング・ストーン・レコード・ガイド」(赤本ですね)と「ロック百科」(サンリオ~結局2巻までしか出ませんでした(数年前まとめたものが出ました)でブロンズ社の「ブリティッシュ・ロック」本は高くて買えなかった)にも写真が載ってたヘタウマジャケの「Bad Girls Song」(トニー・コジネク)を買いこんなシンプルだけど、歌いたいことを歌った歌があるのか!と衝撃を受けたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=5bVGaEf-zv0
#34
81年に入ると岐阜市民会館?でRCを見ました。「Please」が前年に出て激しいライヴが話題となってラジオでもよくかかってたRCサクセション。もっと昔に深夜放送で”スローバラード”を聞いたとき老人のようなvoだなあと思ったものでした。その後のセットリストから外れた”ダーリン・ミシン”や”DDはCCライダー”なんて曲もやってくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=eI-STtujHd0
#35
79年頃の名古屋のミニコミ誌「ナプガジャ」(名古屋プレイガイド・ジャーナル)の広告で<レコード買いますタナカ>というのがよく載ってましたが、このタナカさんという方が80年に栄でオープンさせた(旧やまと生命ビルB1)のがバナナレコードです。今は経営母体が変わってしまってテンポも少なくなりましたが、最盛期には東京にも店舗があった、黄色い袋がトレードマークの80's~90'sの名古屋を代表する中古レコード屋チェーンでした。最初にバナナで買ったのは、ボブ・シーガーの「Agaisnst The Wind」だった気がします。栄店の次にできたのは名駅店(今の場所と同じ)か近鉄パッセ店だったかわかりませんが、栄店は後に移転し栄本店として。またこれも今はなき栄町ビル(ここの6Fだかの催事場でよくレコードフェアをやってて行ったものです)の1Fに栄店(逆だったかも)が出来て、猟盤のコースとなりました。値段は当時で1200年前後で日本盤中心。新栄にあったCBCラジオのステッカーが張ったライブラリーの見本盤を大量によく見かけました。今では白レーベルのPromotion Onlyというのは音がいいという話が広まってますが、この当時見本盤は(少なくとも日本盤は)、一段下に見られていて買取も安かった記憶でした。
https://www.youtube.com/watch?v=DcZGU52WV9c
#36
81年4月には大学に入り地元を離れ新潟で一人暮らしを始めます。まだ新幹線以前で東京まで3時間以上かかった時代。あちこちから集まっているとはいえ、音楽を聞いてる友人はいても洋楽ロックを聴く人は少なく、いても超メジャーなものばかり。圧倒的に日本のロックやポップスがあふれていました。